ウチには中学三年生の息子がいるのですが、何がそんなにおもしろいのか?バカ笑いしてたと思ったら、急にくやしがってみたりとまさに思春期真っ只中という感じです^^;
このくらいの年齢の子はいろんなことがわかりはじめてきて知識だけは豊富になっていくのに、実体験が伴わないため何か問題が起きても対処の方法がわからず、無意味に悩んでしまうという場合も多々ありますよね。
このくらいの年齢の子に多いのがイジメです。
イジメというのは、今に始まったことではなく、太古の昔からあることですが、現代ではインターネットおよびSNSの発達もあり、イジメの質も以前とは変わってきたような気がします。
さらにゲームの影響からなのか?死というものに対して考え方が軽くなっているように感じるのは僕がオッサンだからでしょうか?
このイジメというものは非常に性質が悪いものもあり、いじめてる方はいじめてるという意識があるわけではなく、いじめられてる方だけがいじめられてると感じている場合もあるようですよね。
その場合、いじめてる方は意識が無いわけだから、イジメはやめようと言っても自分のことだとは思わないわけですし、いじめられてる方はいつまでもいじめられると感じているもんだから、解決のしようがない。
そういった場合、昔なら「いじめられたら逃げずに立ち向かって行け!自分が変われば相手も変わるから!」と言うことが多かったですし、僕もずっとその考えに賛成していました。
しかし、最近のニュースであまりにもイジメによる中高生の自殺や事件などが多く、そんなニュースを見るたびに「なんで死んじゃったんだろ。。。たかが15~16年しか生きていないのに。。。これからの人生の方がよっぽど長いのに。。。」と無性にやるせなくなるんです。
と同時にそんなニュースの主人公がウチのセガレだったら。。。とオーバーラップしてしまうんです。
ウチでは他の家庭と比べると意外とセガレと話をする方だとは思うんですが、セガレの言ってることが本当なのか?また本当のことだとしても割り引いて言ってるのでは?という疑問はぬぐいきれません。
セガレも軽いイジメに遭っていた時期もありますので、今はいじめられていないと言ったとしても鵜呑みにはできないというのが本音です。
小学生低学年の頃はそんな話を聞くと「逃げないで立ち向かえ」と言っていたのですが、よくよく考えるといじめられる子って言い返したり、反撃したりが怖くてできないからどんどん自分の内にストレスをため込んでいっちゃうんじゃないかと思うんです。
その最終形が自殺という形になるんじゃないかと。。。
もしそうだとしたら「逃げずに立ち向かえ」などという無責任な言葉は吐いてはいけないんじゃないかと思うようになりました。
逆に「もし自分でどうにもできなければ逃げ道はいくらでもあるから安心しろ」と言ってあげるのが親や大人の役目なんじゃないだろうかと思うようになったんです。
だって自分だってさんざん逃げてきて今まで生きてきたわけですし、今偉そうなことを言っている大人のほとんどは上手に逃げながら今があるんじゃないかとも思ってます。
よく何かの目標を達成する時に「逃げ道を断つ」のが大切と言われることがありますが、それは自分の甘えを断つという意味で、決して対人関係に対して言う言葉じゃないでしょ。
それが今では僕の中で信念になっているので、中高生のイジメだけでなく、社会人の人間関係でもどうしようもなくなった時のために「逃げ道を作る」ことは自分の人生をより良いものにするための最善の策だと思っています。
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