昨日からふわっちで配信を始めた嫁、予想以上におもしろいようで今日だけで4回も配信しています(^▽^;)
ウチの嫁はやり始めた時はそのことしか考えられなくなる性質で、7~8年前にブログを始めた時は1日に30記事もうpして、運営側からスパム扱いされたことがあります(^▽^;)
さて、本日、気になったニュースが名バイプレーヤーの俳優さんが亡くなったことです。
いや、亡くなったこと自体は寿命だと思うので特にこれといった感慨はありませんが、気になったのはその後の対応。
人が亡くなれば葬式を出すのが普通ですし、ましてや有名な俳優さんなんかだと大きな葬式になるのが一般的だと思うのですが、今回亡くなった俳優さんは生前「葬式無用・戒名不要」を公言していたようで、葬式やお別れ会などは一切やらないんだそうです。
これは実に素晴らしい!
僕は心から葬式無用・戒名不要と思っているんですが、人が亡くなると周りの人が騒ぐので実際に葬式無用・戒名不要を通すのはヒジョーに難しいことだと思います。
ところが今回は故人の生前の遺志をついで、ホントに葬式無用・戒名不要を貫き通した家族および関係者に拍手を送りたいくらいです。
そもそも日本人ってなんでこんなに儀式好きなんですかね?
無駄に集まって、無駄にお金を使って、みたいなことが大好きじゃないすか。
もちろん中には無駄だとかくだらないと分かっていても、付き合いで仕方なくやっている人もいるとは思いますが、逆にそういう人が自分の代できっぱりやめればいいのに、やめないからいつまでも続いちゃうんですよ。
僕はそんな人間になりたくないので、年賀状、お中元、お歳暮などのやりとりは一切やめましたし、葬式、結婚式などもなるべく呼ばれないように付き合いを狭くしています。
もちろん普通に考えれば、そんなことをするのはおかしいと思いますし、変人とか偏屈とか言われることもわかっています。
でも、どう考えても僕の人生にとって儀式を行う意味があるとは思えないんですよ^^;
だから今回の俳優さんが言ったという「亡くなったら、ただのカルシウムだよ」という言葉には激しく同意できるんですよねえ。
特に葬式なんていうのは、残された人が悲しみに暮れるヒマも思い出に浸るヒマも与えてもらえず、周りにせかされてやらされることがほとんどだと思うんです。
そして会葬に来た人の中でホントに故人を偲んでいる人は数えるくらいしかいないんじゃないすか?
葬式を出す人は故人とゆっくりお別れするヒマも与えらず、葬式に来る人のほとんどは面倒だなと思いながら仕事の都合をつけて、喪服を用意して悲しい顔を作ってやってくるんです。
こんなことになんの意味があるんでしょうか?
僕はこんな風に考えていますから、すべての儀式に意味はないと本気で思ってます。
特にお葬式は最も無意味な集まりだと思っていますから、嫁にももし僕がこの世を去る時が来たら、絶対に葬式なんて出してくれるなと強く言っています。
でもよくよく考えたら、僕がこの世を去った後のことは知ったこっちゃありませんから、葬式を出そうが、墓に入れようが、海に散骨しようが、残された人の好きなようにすればいいと思いますwww
別に葬式屋さんにも坊さんにも恨みはありませんが、葬式無用・戒名不要は素晴らしい考え方だと思ってますので、僕の座右の銘にしてこれからも精一杯生きていこうと思っています^^
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