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運命論者になったら楽になる!その代わり冷たい人にもなってしまった件

人生は山あり谷ありと昔からよく言いますが、本当にその通りだと理屈ではみんなわかっているでしょう。

良い時もあれば、悪い時もある。楽しい時もあれば、ツラい時もある。

楽しい時が楽しすぎるほど、ツラい時にはもうどうしようもなくて、これからどうやって生きていけばいいのか?わからなくなってしまうこともありますよね。

もちろん僕もとてもツラい経験をしたことがあります。

その内容は割愛しますが、その時はツラすぎて、考えたくないと思っても頭の中からそのことが離れなくなってしまい、最後には本当にもうどうでもよくなってしまいました。

そこから僕は運命論者になりました。

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そもそも運命とは、世の中でおこるすべての出来事はあらかじめ決まっていて、それは我々のチカラでは変えることができないということです。

幸せな出来事も悲しい出来事もすべて生まれた時から決まっているので、僕がどうあがいても変えようがないと思うようになったんです。

そう考えるとツラい経験もこれが僕に与えられた運命なんだから仕方ないと思えるようになったんですね。

人間っていうのは「なぜ自分ばっかりこんな目に遭わなければいけないのか?」と思ってしまうものですが、すべてあらかじめ決められてたことと思えば、意外とあきらめられるんです。

とは言え、僕のツラさなんて、小さいものかもしれませんので、これからもっと大きな悲しみを受ければ「これも運命だから仕方ない」と割り切れるかどうかはわかりません。

でも、運命だと思い込まないと自分自身が壊れてしまうのではないかと思っています。

それでも運命だとあきらめられなければ、自分が壊れてしまってしまうのも仕方ありませんね。

僕から言わせれば、それも運命だったわけですから。

そうやってすべてを運命だから、あきらめようという考え方がデフォルトになってくると人生はかなり楽になります。

少なくとも運命論者になってからの僕はとてつもなく楽になりました。

だってどんなにツラいことでも、自分で変えられないなら、最後はありのままを受け入れるしか方法はないじゃないですか。

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そうやって自分の気持ちを守りながら生きてきたわけですが、それは他人に対しても同じ気持ちで考えてしまうようになりました。

例えば、身近な人がツラい思いをしたとしても、それが運命だから仕方ないんじゃね?みたいに…

もちろん、ツラい思いをしている人にその気持ちをそのまま伝えるわけではなく、オブラートに包んで言うようにしていますが、心の中では、考えたって仕方ないんだから考えなければいいのにと思っています。

心でそんなことを思っていれば、相手にもその気持ちが伝わるのか?よく「冷たい人」だと言われるようになってしまいました。

別に冷たい人と思われても、それが本心なんで仕方ないと思いますし、それもまた運命なのでしょう。

よく「運命は変えられる」などという言葉を聞きますし、それを糧に努力をして運命が変わったと言う人もいますが、それは本人が変わったと思っているだけで、実際はそうなることも運命だった僕は思ってしまいました。

つまり努力をすることも運命、その努力が実ることも運命なんじゃないかということです。

あとよくあるのが、人生の分岐点に立った時、どちらの道を選ぶか?ということですが、これも僕に言わせれば、最初からすべて決まっていることなので、深く考えようが、楽天的に考えようが同じだと思っています。

だって未来のことなんて、誰にもわからないんですから、自分の心の赴くままに行ってみればいいんじゃないでしょうかね。

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